34年間との関わり

いろいろと辞めるだ引っ越すだとかお騒がせしてきましたが、正式な暦の上では本日をもって34年のサラリーマン生活を終える事になります。
これまで、こんなボンクラな社員を長年にわたり庇護してくれた会社に改めて感謝です。そしてサラリーマン時代にいろいろと関わりを持ってお世話になった先輩や同僚にも感謝ですね。

私が入社した1980年台は大きな目でみればバブル期の前兆で、働き口はいくらでもあったからか、当時通っていた千葉の田舎にある大学にも、大学のOBと当時の人事課長が学生を求めてやって来てくれました。昨今の就職状況を考えたら夢のような時代だったと思います。大学院に進む同期を横目に、自動車を自分で買いたいからと就職を選びました。自動車を買うという事が当時は一人前の男になると思ってた時代です。4年間さんざん遊んだので、流石に飽きちゃったというのもありますけどね。

本社が自転車で通える距離にあるからと選んだ会社ではありましたが、入社後の配属はなんと大田区の多摩川べりの工場でした。埼玉の自宅から通勤に2時間近く掛かったので、慣れるまで辛かったですが、慣れるとこの工場がとても居心地の良い場所でかなり気に入ってました。フロアの非常口から出るとそこはむき出しの非常階段で、眼下には多摩川が悠々と流れてました。夏の夕方はぼーっと多摩川の夕日を見ていたな(笑) がしかし、その工場は2年を待たずに閉鎖となり、晴れて自転車で通勤できるようになったという訳です。

サラリーマン時代は、その半分以上がドサ回り生活で、出張と称して国内のいろんな所に行きました。私にとって出張といえ旅は旅。行く場所はお客さんの場所に左右されますが、それでも会社のお金で旅ができるというのはとても良かったです。 国内と書きましたが、一度は海外も行ったっけ。これも国内と同じノリで出かけたので弥次喜多道中のようないろんなハプニング旅が思い出深いです。

でも、一度出張に出向くと、出張先からなかなか戻れずに、週末だけ帰って週明けにはとんぼ返りという時期もありました。子供が2歳とか3歳の頃です。出張先に戻る月曜日の早朝、アパートの玄関先で見送る娘に「パパ、また来てね~」と言われたのも今となっては思い出ですね。

その後はいろいろとありましたが、最後の5年間は生まれて初めての単身赴任で広島生活も経験させてもらいました。単身赴任中は月2回は帰宅できるという制度も酒場で知り合った同じように単身赴任してる人からは太っ腹な会社だと言われたこともありました。普段そんなこと考えたことなかったけど、恵まれたサラリーマン時代だったようです。

愛社精神ということになるのかちょっとわかりませんが、例えば自動車メーカーに努める人なら自分の会社の車に乗るでしょう。またカメラとかパソコンとか時計とかのメーカの人は自分の会社のものを使うというのがあると思いますが、私の会社はコンシューマ向けの業態ではなかったので、テレビCMはやってないし、売ってるものも店先に並ぶものではないので、ちょっと物足りないよなあと入社当時に思ってました。そうしたらある時、会社の売店の片隅でこれを見つけました。冒頭の画像がそれです。そう言えば、私は大学の実験室にあった黒い電圧計や電流計で会社の事を初めて知ったんだったと思い出しました。仕事で使う事は殆どありませんでしたが、やたらと、電池の電圧測ったり、抵抗測ったりしてました。(笑)

今回の引っ越しの関係で部屋を片付けていたら使っていなかった工具箱から出て来ました。
これを機会に、これからは大事にしようと思ったのであります。

34年間との関わり” に対して8件のコメントがあります。

  1. yasuoti より:

    あ~2歳の長男に言われたことあります(笑)
    朝、出勤するときにいつもは寝てる長男が起きてしまい、そして
    「パパ帰っちゃうの?また来てね!」
    そうです、早朝に居なくなり深夜に帰宅する私は長男が寝ているときに帰ってくるので
    週末だけ家にいると思われていました(笑)
    まー、そういう忙しい時期だったんですね~

    なにか感慨深く読ませて頂きました。
    なんだろ?・・・私の良く知っている会社のような気がしてきました。

    最初の配属先の多摩川べりの工場とはガス橋の近く、
    今はキャ〇ンの工場になっているところでしょうかね?もしそうなら・・・

    私がサラリーマン時代にずいぶんとお世話になったお客様であったかもしれません。
    三鷹(武蔵野)、入間、青梅、五日市、甲府、松川、盛岡
    まだ若かった20~30台半ばの頃に一緒に仕事させてもらった思い出があります。

    不勉強な私に電気、機械、工具、測定器と、いろいろ教えてくれたあの父親世代の課長さん。
    大きな設備の注文を「お前気に入ったから任せる!」と言ってくれた部長さん。
    いろんな人にお世話になった記憶が蘇ってきました。

    まぁ、なんというかtaboomさんの会社とは違う会社かもしれませんが
    いろいろ思い出させていただく良い文章を読ませて頂きました。

    おっと、辛い痛勤に単身赴任を乗り越えて
    長きにわたる勤続お疲れさまでした。

    1. taboom より:

      yasuotiさん こんにちは。

      やっぱり言われちゃいますね。アパートで大きな声でやられちゃうと、普通なら他の部屋の人に勘違いされちゃうなと思ってました。あそこって週末だけ来る「パパ」らしいぞって(笑)
      でも、そのアパートは1棟すべてが会社の借り上げ社宅だったので、他の部屋の人々も似たり寄ったりの生活だったのでセーフでしたけどね(笑)

      さて、私の勤め先はご想像の通りです。その道の人であればやっぱ解っちゃいますか(笑)
      私が入社した頃の会社はそんな感じでしたが、それを社外の人からそのように感じて頂けていたとしたら私としてもとても嬉しい事です。
      これから振り返った時、そんな事思い出す事ができればこれからも何とか何だろとちょっと安心しました。

  2. 蛍゜ より:

    やはり私が予想していた会社にお勤めの様でしたね。
    本社には私が新人教育として受けたトレーニングコースが設けられていて、
    一週間ほど通いました。taboomさんが入社される10数年ほど前でしょう。
    本社にはその後何度も立会検査等で伺いました。対象物はいろいろでした。

    家から本社まで自転車で通勤できる距離ということで、地図で確認しました。
    確かに直線距離で10kmほどですね。(中央線より北は土地勘がないのです)
    ということはあまり通勤電車には縁が無かったのでしょう。
    (下丸子は電車だったでしょうけどわずかな期間、まさか自転車では、、、、)
    出張が多くてたまに家から会社へは自転車となると、ちょっと変わった会社員に
    見られたでしょうね。

    私も35年近く通勤は歩いて4年ほど後は自転車通勤でした。
    高校生の3年間の通学地獄で、それ以来満員電車は避けるように大学、
    勤務先、住家は選んできまして転勤も遠慮しましたので
    ささやかなジテツウサラリーマンを全うすることが出来ました。
    (通勤距離は短かったのでトレーニングにはなりませんでした)

    会社の仕事では、以前の会話でFとPの分野の違いがありますねとも
    お話しましたので、すれ違う機会もなかったでしょう。
    長年のお勤め本当にご苦労様でした。

    ところでアナログ指針式のテスター作っていましたかね?
    きっと高価格かったでしょう。黒くて大きな指針式の筐体には
    ○○〇とあり精密計器の貫禄十分でした。うっかり壊そうなら
    大目玉くらいそうでした。
    今は小中の理科学習用に使っているのはデジタル式?
    それでは良くない、やはりアナログ指針式でないといけませんね。

    私が個人で使用していたのは
    安価な日置製とか三和製でした。デジタル式の高級なのは会社の備品でした。
    もっと高級な測定器、校正機器も身近にあり使っていました。

    1. taboom より:

      蛍゜さん こんにちは。

      子供や学生が実験室で出会うというのがちょっとスマートだと思ってましたが、昨今の実験室には無いんでしょうね。
      ところで、このテスターは当時の子会社が作っていたものです。残念ながら、○○○という表記はありません。
      正直言うと、実験室にあった黒い計器に書いてあった○○○が実に堂々としていて、それに惹かれたのが会社を選んだ理由の一つかもしれません。
      何度か会社名が変わりましたが、結構早い段階で○○○って使わなくなっちゃったからちょっと騙された感がありました(笑)
      もう、時代的にWorksなんて言ってらんなくなっちゃったんでしょうね。

  3. east_bred より:

    ヤッパリその方面のお仕事でしたか(^^♪。

    私もN社のコンピュータのH/W担当でしたから、当初は散々でかくて黒い電圧計等のお世話になって居ましたが、途中からテスターすらも使わない時代になって仕舞い、代りに頭ばかりを使う様になっちゃってホントに困りましたっけ(^^ゞ。
    私は未だにアナログのテスターを使って居ますがデジタルより使い良いと思うのは歳のせい?、それともそのお頭の出来のせい?(^^ゞ。
    しかし、使って居ると言っても導通の確認に使えるだけで、オーディオ機器の修理等は全然出来ませんけどネ(-_-;)。

    で、私も通勤は遠い処近い処とイロイロと変わりましたが、事「転勤」に関しては全て断り続け、海外(シンガポール)も拒否したお蔭でちょっとだけその後の進路は変わった様な気も・・・。
    でも今でもそれは正しい判断だったと・・・思う事にしています(^^♪。

    さて、「taboom」さんが此れからどんな楽しい事をされるのかがとっても楽しみで有ります(^_^)/。

    1. taboom より:

      east_bredさん こんにちは。

      アナログの針というのは、直感的だと思います。だいたいこの辺に来ればOKだと判断できますよね。
      それに対してデジタルは数字を読んで、頭の中でそれがどうなのよという判断を頭の中でしなきゃならんと言う点で、アナログの方が好まれるんじゃないかと思うのです。
      自動車のスピードメーターや回転計もそうですよね。
      デジタルの方が時代的に進化系となっていますが、あの機構を考えたらアナログの方が高級な機構と言えるでしょう。そんな事いうとアナクロって言われちゃいますね。

      それから余談ですが、業務上でN社のメインフレームやサーバと関わる事が多かったのですが、あの壊れない安心感は最強だったと思ってます。
      たとえ壊れてもすっ飛んで来てくれましたからね。そんなのも思い出の一つです。

      1. east_bred より:

        エッ、お客様でしたか(^^)/。

        メインフレーっていうとACOS4とか6を使って居たんですか?。
        私はACOS-4を長く担当して官庁(通産、郵政、警察庁etc)ばかりでしたけど、最後に担当したMSと新聞社専用機器が一番メカが多くて面白かったです(^^♪。

        1. taboom より:

          east_bredさん こんばんは。

          いやいや、失礼しました。ACOS自体でインテグレーションしてた訳じゃありません。取り合いの相手方にACOSが多かったという事です。
          最初は知らなくて、相手側は「えーこすは・・・」と話すんですが、世間知らずな私はなんだそりゃ?と思ってました(笑)
          Windowsの時代になってからは、NECのサーバを用いてシステムを提供してました。・・・なんて事、もう一生使わないだろうし、話す機会は無いでしょうけど(笑)

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