富士の麓にあった自転車店

サイクルメイトヨシダ かつてこのお店に若き血を滾らせたサイクリング少年は多い事でしょう。
私もその一人であります。中学生の頃、自転車好きな友達に連れられて行ったのが初めてで、それから通うようになりました。初めはそもそもサイクリングなんて興味がなかったのですが、友達に連れていかれる度に、従来の自転車屋のそれとは違うお店の様子に惹かれて行ったというのはあります。お店の間口はそんなに広くないのですが、一旦お店に入ると、鰻の寝床よろしく奥にずいずいと続き、進むにつれてどんどん引き込まれていくような感じ。お店の種類は違うものの、十何年も経てドンキホーテに初めて行った時に、「ああっ、これは!」と思ったくらいであります。最初は相手にもしてくれなかった強面のおじさん(これが後から知った社長)も、何度か出入りしてるうちにちょっとづつ相手してくれるようになりました。それがまた嬉しかったりして(笑) 中学から高校そして大学に入ってサイクリングクラブに入る頃には良く通いました。大学時代は千葉だったのでSEMASに乗ってましたが、新しいパーツやタイヤを初め消耗品はヨシダで仕入れてました。そして社会人になってTOEI号をオーダーした時もパーツの手配はヨシダ(笑) その後、社会人になって、自転車以外の楽しい事を知って、志木に通う事も無くなって随分たった頃、サイクルメイトヨシダという名前がなくなった事を風の便りで知りました。

先週のバイトが休みの日に、家人の用事で志木駅に行く機会がありました。駅前のロータリーで家人を待つ間、何気なく見ていた景色の中に、志木の田子山富士塚が国の重要有形民族文化財となったと張り出してるのを見つけました。ん?富士塚だと、そして国の需要文化財? え〜、そんなの知らなかったよと、iPhoneでググってみると、新河岸川沿いにある模様。新河岸川沿いは自転車で通ってたのに全く知らなかった(泣) しかもあれだけ足繁く通ったサイクルメイトヨシダのあったところの近くじゃん。なんて事だ・・・。そして、知っちゃったら一度は行っとかなきゃと、本日の朝の散輪として出かけたのでありました。

以前より、富士塚は興味があって、いくつか巡った事があります。塚をつくった人々、概ね富士講という集まりであったと思いますが、その講の中でも比較的威勢の良かった丸吉講を起こした人物が、埼玉県は新座の庄、片山村の出だったという事を知ってそれ以来富士塚というと、とてもとても親近感を覚えたのであります。でも、最近はすっかり忘れてました。テヘッ 今後の旅のテーマの一つとしてギュッと再認識しておきましょう。

参考までに、今まで巡った富士塚の記事

木曽呂の富士塚  
川口にある富士塚で、こちらも国指定である5つの富士塚の一つです。

東武練馬から大泉学園の富士塚 
東武練馬の「下練馬の富士塚」と川越街道を挟んで対角にある「氷川神社富士塚」さらに大泉学園にある「中里の富士塚」を巡りました。

千駄ヶ谷の富士
千駄ヶ谷の将棋会館の前にある鳩森八幡神社にある富士塚です。富士塚としての要素は殆ど揃ってます。

赤塚氷川神社の富士塚
東京大仏の周辺を散輪した際に見つけた富士塚です。これも丸吉講の作ですね。

荒幡富士
厳密には富士講が作ったものじゃありませんが一番立派かな。そして数多く登頂している富士塚です。

今朝は、Michel501を出しました。一番出しやすい乗りやすいからこれを選ぶ事が多いですね。
ブルホーンに、ダイヤコンペのギドネット ですが、擬似レザーのバーテープがふわふわで握りやすい反面、ギュッと握った時に巻きがササクレ立つ感じがちょっと気になります。やっぱりシェラック処理がいいじゃんね〜(笑)

先日、野菜を買いに行った時のコースを自転車で辿ります。
歩きだと写真撮るのもなんとなくツマラナイのに、自転車がそこにあるだけで楽しくなりますね。

ボタン園を横に見て・・・

平林寺の東の参道にあたる川越街道沿いの入り口にはドンキがあります。

1日の始まりである朝に走るのはやっぱり気持ちが良いね〜。

志木市本町1−6−9 
これが、サイクルメイトヨシダの住所でした。(サイクルスポーツオールカタログ ’82/’83より)
グーグルマップによると、ローソン100の向こう側のマンションのあたりです。
記憶によると、志木駅からヨシダの先にコンビニがあった覚えがあるんですけど。
サイクルメイトヨシダの前の歩道はこれほど広くなくて、止めきれない自転車は、店の横の路地に止めてました。ちょうどマンションの部屋手の方向ですね。

もう無くなっちゃったものをいつまでも見てても仕方ないので、次いこ次!

本町1丁目の交差点を入ります。

富士道という名前がついてますね。

反対側には、敷島神社と田子山富士の案内がありました。
そして、気がつけば今日は2日なので二七市の日じゃないですか!

敷島神社にやってきました。

あ〜、当然といえば当然。不要不急の登山はご遠慮くださいという事でしょうね。

二七市が開かれてました。この様子では3密ではないので安心ですね。

そして境内の遊具は当然ながら KEEPOUT。早く子供の遊ぶ声が響いて欲しいですね。

田子山富士塚の全景です。

入山が許可されれば、右手のお堂の裏側から入って、反時計回りで真ん中の頂上を目指す事になります。表側や左手には足を踏み入れる事はなさそうです。

お山には色々なキャストが参拝者を待ってるんですけどね。

ここの富士塚がすごいのは、胎内洞窟がある事です。木曽呂の富士塚にもありますね。
説明を見て驚いたのは、当時は奥さんが産気づくと旦那がこの胎内に入って安産祈願をしたという事です。祈願とはいえちょっと怖いっす。

富士山も見たから、次へ行きましょう。
川沿いに出ました。ここは志木市役所の下流にあたる部分で、柳瀬川が新河岸川に流れ込むところです。水の勢いだけでいうと柳瀬川の方に分がありますね。

合流しちゃうとまったりと流れます。この下流で再び黒目川が流れ込む事になるんです。そこら辺りを散策しようと考えてました。

こんな道を繋いで・・・

うーんと唸るような光景を見て、

そして、草間 彌生先生のデザインしたような建機を見てしまったら、いきなりお腹が変な感じになってきました。
いつもだったらコンビニがあるさと思っていただろうに、このコロナ禍の時期はコンビニでもトイレは閉鎖という憂き目に合わないとも限りません。火急を要するものじゃありませんが、少なくとも自宅方向に進路を向けた方が良いという事で、黒目川沿いに出て上流を目指す事にしましょう。

座った上で、しかも小じゃない方も駄目でしょうか?

はからずもこんなの見てしまっては・・・ 「怒◯んこかい?」「そうだって言ってんだろ!」

黒目川沿いに出て、東上線が見えてきたのでキモチ(とお腹)が落ち着いてきました。

川越街道(R254)まで戻って来ればもう大丈夫。
以前はこの橋の下をリンボーダンス状態で潜ってましたが、今はちゃんと開通してますね。

関越自動車道を潜ったあたりで気がつきました。
先述した、丸吉講の開祖が自分の地元で初めて作った富士塚が新座市内の法台寺の裏に残っています。
ちょっと回って見て行きましょう。

しかしながらこの歴史的な富士塚は現在一般公開されておらず、遠目に見るだけとなっています。勿体無い事ですな。

本日のコースはこちら

この旅のお供は・・・ POWERED BY FUJI X-10

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富士の麓にあった自転車店” に対して16件のコメントがあります。

  1. oryzasativa より:

    こんばんは

    富士塚を見つけると
    つい登ってみたくなりますね。

    房総は何故か出羽三山信仰が
    盛んだったので
    ニセ羽黒山など多いです。

    お腹の調子が悪いとき
    公衆トイレにたどり着いて
    施錠されていると
    絶望的な気分になります。

    1. taboom より:

      oryzasativaさん おはようございます。

      そうですね、富士塚を見つけると登ってしまいますね。大きいの小さいのありますが、それをどんな思いで
      作ったかを考えるとブルブルきます。もちろん信仰という名の下にというのがあるでしょうけど、そのような
      事業をするためにはそれだけじゃ無い、いろいろな思惑があったんだろうと想像すると面白いですね。

      房総には出羽三山信仰ですか! ニセ羽黒山、それは面白いですね。
      新座市のHPの市の歴史にも、富士山以外にも大山とか榛名とか御嶽とかが乗ってます。それぞれ「推し」が
      あって良いと思います(笑)

      今回は、お腹の調子は復活したので助かりました。絶望的な状況になった場合、気持ちだけじゃなくて
      物理的にいろいろと処理しなければならない事案となるので厄介ですね(笑)

    2. 六浦っ子 より:

      サイクルメイトヨシダ!あたしの場合上大岡のゲンマでしたが、お世話になりました。老舗の個人店はちょろっと敷居が高かったんですが、ゲンマは普通に入れて、普通に買えました。値段も安かったですね。あんなお店、近くに欲しいです。

      >富士塚
      品川神社にたまに行きます。ココの富士塚は第一京浜やら京浜急行線を見下ろす場所にあり、なかなか風光明媚です。ありがたいですね。

      1. taboom より:

        六浦っ子さん おはようございます。

        度々のヨシダ話にお付き合いいただき有難うございます。
        ゲンマってなんだと思って改めてググって知ったのですが、かんむり座の星のことなんですね。
        改めてヨシダは星座や恒星のシリーズだったんだなと感心してます。渋谷のスピカもそうだし。

        品川神社に強烈なのがあるんですよね。いつか機会があったら行ってみたいです。
        さっさとこの災禍が過ぎるといいですね。

  2. 乾し肉 より:

    私が知ったときのYグループは、すでに店舗がいくつかあって、池袋の店はGALAXYと名乗っていた頃でした。そこでMo号を買ったんだった。
    その頃でもまだ店に入るのは背徳感というか、店そのものが自転車オタクっぽい雰囲気を纏っていたのですが、今ではすっかりクリーンな雰囲気になってますね。

    >うーんと唸るような光景
    これ、凄い眺めですね。どーなってるんだ?
    崖のすぐ上にあるコンクリの建物はアパートでしょうか?

    1. taboom より:

      乾し肉さん おはようございます。

      あ〜、なるほど、あのお宝はGALAXYで手に入れたんですね。サンシャインの麓でしたっけ。
      ちなみに、池袋にはジムBOXというお店がありました。ボーリング場の下ですね。
      昔はSRCとかも隣接しててなかなか楽しい場所でした。
      あのようなお店は、オタクっぽい雰囲気の加減が難しいところです。クリーンだと一般のお客さん
      も来店の可能性もありますが、コアな客を引きつける部分も必要なところで・・・って、時代が違うか(笑)

      この景色は、ちょうど道を曲がった時に正面に見えました。
      崖の上に立つ家の地盤を確保するために、地下部分をコンクリで一斉に固めたんじゃ無いかと思います。
      余力があれば坂を上って見て来たかったですが、なにせお腹が・・・(笑)

  3. rikoパパ より:

    おはようございます。
    ヨシダ、中学生の頃サイスポの広告を見て、同級生数人で電車に乗って志木まで行きました(なにも買わず。笑)。
    その後、多店舗展開していったように記憶してます。
    渋谷駅近くの線路沿いの店を良く利用しました。

    1. taboom より:

      rikoパパさん おはようございます。

      度々のヨシダ話にお付き合いいただき有難うございます。
      サイスポの広告は強烈でしたね。自転車のメーカ名もパーツも例えばデュラエースなんかの意匠も手書きでした。すげーと思いました。
      志木駅からだとちょっと歩きましたね。私もそうでしたが、中学生だとあの雰囲気はちょっと怖い感じがしましたよね。
      私は最初に行った時に打ち抜きのヘッドスパナを買いました。32、34どっち?っていきなり聞かれて、答えられずに、恥ずかしい思いをしたのも記憶に残ってます。

  4. ぶとぼそ より:

    おはようございます。
    富士塚登山すら自粛要請とは驚きです。誰も守らないような気がしますけど(苦笑)。
    今更胎内に入るのは怖いですよね!! それがあるのも歴史のある証拠。
    トイレ騒動、サイクリストにとってはコンビニはありがたい存在ですが、今はそれもアテにならず。
    街中を走る時は公共トイレの場所を要チェックするようにしていますよ。

    ヨシダ、今は流行の車種ぎかり追いかける自転車デパートのようなショップになってしまいましたね。
    商売上手なのかもしれませんが、セオのように街の自転車屋展開に徹するチェーン店化とは対極ですよね。
    ただ、今でもアンタレスを売っているのには社長の心意気を感じます!!

    1. taboom より:

      ぶとぼそさん おはようございます。

      この田子山富士は、そもそも「大安」「友引」の日しかオープンしないんだそうです。
      それを聞いて、今日は何だ?と、六曜のカレンダーをiPhoneにダウンロードしたくらいです(笑)
      ちなみに、5月2日は先勝だったのでそもそもダメでしたけど。
      ここの胎内は立派だけど、入り口が小さいので這いつくばって入らないといけないはずで怖いですよね。
      しかし、これがあるだけで富士塚の格式が上がるようです(自分比)

      ヨシダの社長は商売上手だったんだと思います。自転車の職人じゃなくてプロデューサーのような感じでしたね。
      対してセオは町の自転車屋さんの発展形だったから、今でも各地に根付いているんでしょう。
      自転車の話をするのはセオに行き、自転車の部品を買うのはヨシダという感じで自分の中で住み分けしてました(笑)

      いつかはアンタレスと思っていましたが、SEMASに流れてしまって結局は手に入られず。
      銀河鉄道999でアンタレス(大盗賊)が出てくる度に、あのサソリマークを思い出します。

  5. あじこぼ より:

    あの物件にびびびです
    ストリートビューで浄水場排水処理場上の物件に行ってきました
    横浜にはこのようなコンクリ地盤の崖地物件が多いです
    ここは1F道路接続の地階フロア付きだからふつうに住みやすいと思いますが 下からの外階段であれば悲劇物件です
    横浜市緑区長津田3丁目にもすごいのがありますが ここはもう1段高くて最強です!うーん爆

    1. taboom より:

      あじこぼさん こんばんは。

      あの物件はすごいですよね。ちょうどカーブを曲がって正面に見えた時にびっくりしました。
      単に地盤をコンクリで固めてるわけじゃなくてそこも地階フロアとして使ってるんでしょうね。
      外階段だったら住む方は大変でしょうけど、見る方は絶景として楽しめると思いますが(笑)
      それでも、住む価値はあると判断されたんでしょうからね。
      長津田の物件、機会があったら巡りたいですね。

  6. メッセンジャー改め竹下浩一 より:

    輪行車、とデカデカと書かれたヨシダの鉄看板が、浦和一女の壁に張られているのを見たのは、70年、国鉄が輪行を承認した頃でした
    当時まだ小学生の私は輪行車の意味がわかりませんでした
    中学生になり、サイクリングを始めても、浦和の住民の行きつけのショップは旧中仙道沿いの杉山が中林で、志木のヨシダは荒川を渡らねばならず、志木街道で狭くて交通量の多い秋ヶ瀬橋を渡るのが嫌で、余り頻繁には行きませんでした(それでも品揃えや安さが魅力でしたね)
    ずっと時代が下って、メッセンジャー時代は、赤坂、溜池山王駅の近くにあるY’Sに、消耗品購入で、よく出入りしました(あのヨシダの系列と知ってびっくり)

    1. taboom より:

      メッセンジャーさん(竹下浩一さん?) こんばんは。

      荒川を挟んで向こうとこっちというのはやはり世界が違ったと思います。
      私のところから荒川から離れていましたが、こちらから見て川の向こうはどうなっているのか想像がつきませんでした。
      当時の秋ヶ瀬橋は狭かったですしね。
      当時のヨシダは長く付き合う自転車屋さんじゃなくて、自転車部品屋だったんだと思います。敷居は低いけどオウンリスクで
      どうぞという感じですかね。それが時代とともに門戸を広げたんでしょう。

      しかし、輪行解禁という一大イベントに当時のヨシダは乗っていたんですね。さすが「機を見るに敏」です(笑)

  7. あじこぼ より:

    志木駅は新座市にあるんですね

    志木市にない志木駅 よくあるギャップですが駅改良工事事情とは志木市民も悔しいでしょう
    あっ逆に植民地か 爆

    1. taboom より:

      あじこぼさん こんばんは。

      そうなんです。武蔵野線が通る事になって新座駅が出来ましたがそれまで、公の駅といえば志木駅でした。しかもピエロの鼻の先に住む私には全く関係なしですけど(笑)
      そういった意味では、新座市の表は志木駅なので、西武鉄道より東武鉄道の方に分があるというのも若い頃には受け入れがたいものがありました。今は気にしないですけどね。

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