調布飛行場界隈の遺構巡り

掩体壕というのがとても気になるというかシンパシーを感じるのであります。
災難がやってきたら、その下に隠れてジッとして難が去るまで耐えて待つというものです。子供の頃からそしてこの歳になっても、ヤバいぞって時は心の掩体壕にさっさと避難する私であります。そんなイメージと掩体壕を一緒にすんな!って怒られてしまうかもしれませんが、私にはそんなイメージがあります。イキってる時であれば、そんなわざわざ隠さなくても、よし一丁やったろーじゃんとなるけど、そんな事言ってらんない状況だったんでしょうね。
掩体壕を初めて見たのは2016年4月大分県は宇佐の掩体壕です。広島にいた時に九州まで遠征して、だだっ広い畑の真ん中にある掩体壕を見ました。一式陸攻などを隠す事もできる大きな掩体壕でした。感動しました。それから、2017年5月にあじこぼさんや六浦っ子さんにご案内いただいた、横須賀に遠征した時に見た掩体壕もありました。こちらは規模が桁違い。掩体壕というより掩体団地(笑)。そしてここ調布飛行場の近隣に残っている掩体壕であります。2019年の6月に関戸橋に向かう途中で調布飛行場に寄った際に見たのであります。
先週の土曜日に、MCPの8月度ランの見送りに言った際に以前見たものとは別の掩体壕がある事、そして掩体壕以外にも戦時の遺構がある事を知り、改めて回ってみようと思ったのが今回の動機であります。それじゃ行ってみよ〜。

1 アプローチ

中央線の南側へのアプローチは、公園を抜けて南下するのがスタンダードになった。しかも、まっすぐ南にズドンだ。

5時過ぎに出発したけど、空は曇っておりました。まずは南沢の流れに触れて目をさましました。冷たい冷たい!

先週とは異なり、ひまわりのバックは青空じゃないところが残念。

東小金井の自転車専用レーンを気持ちよく走ってると、前方にランナー発見。
ランナーは、このレーン走って良いの?

2 武蔵野公園 くじら山

三鷹に住んでた5年間は、野川公園を中心に子供と遊んでいた。しかし、ちょっと上品な野川公園より武蔵野公園の野趣が好きだった。

多摩川線沿いに下って野川公園に入る前に、武蔵野公園側に右折しました。
ここの、くじら山に良く来たな〜ってちょっと上って見たくなったからです。

くじら山の頂上から、小金井市の方とハケを見る。

「はげ」ではありません。「はけ」です。
河岸段丘があるあたりを自転車で行ったり来たりするのは人の営みもあって中々楽しいですよ。

ここも大沢のハケの下にある水田です。
この奥の崖の下に、カラーを栽培してるところがあって、30年前は朝方良く散歩したな〜って。

風が吹くと、カラカラと音を立てて回ります。

3 掩体壕 大沢1号 2号

大沢には現存する掩体壕は2箇所ある。隣り合わせで1号と2号だ。大沢は三鷹市なので市民だった自分には身内のような気がする。

大沢1号の掩体壕には、飛燕が収まった形の絵が描かれてました。

こんな感じで格納されていたんですね。
ここは有蓋の掩体壕ですが、無蓋の掩体壕もあった模様。無蓋だと落ち着かなかったんじゃないかと思いますが。

大沢2号です。こちらはちょっと土中に埋まっちゃったようですね。
幾ら何でも飛行機をこの下に引き込むのは難しいでしょ。

4 三鷹から府中へ

調布飛行場の周りには数多くの掩体壕が作られたという。そのうち現存するのは4つで、三鷹市側に2つ府中市側に2つ。

三鷹の2つを見たので次は府中に行こうという事で、多摩川線沿いに行く事にしました。
途中で、アメリカンドリームみたいな車を発見。大きさもさる事ながら、テールフィンとかの主張が半端ないですね。車体の色もか(笑)

西武多摩川線の多磨駅。多磨駅って、もともと多磨墓地前駅だったところでしょう。京王線には多磨霊園駅もありますね。待ち合わせで間違うことはないと思いますが、2つの駅はかなり離れてます(笑)ちなみに、多磨と多摩では前者の方が古くからの地名だそうです。

小さい踏切を見ると無性に渡りたくなります。

多摩川線で黄色い車両が走ってるぞ! 意外と珍しかったりして(笑)
ところで、多摩川線は単線ですが、架線上の何層にもなった電線は他ではあまり見ませんが、何か意味があるんでしょうか? 教えて詳しい人。

甲州街道の下を抜けます。花が咲いてて良いね!

そしてここは白糸台駅。こちらも最初は北多磨駅だったそうな。多磨墓地前駅が多磨駅になった時に、そこより南にある北多磨駅ってどうよとなって、白糸台駅に変わったそうです。ホントか? 

ちなみに、先週走った記録では、多摩川線に乗ったこと無いと書きましたが、それは全くの嘘(笑)
京王閣フリーマーケットの帰りに、京王線の多磨霊園駅で降りて、多摩川線の白糸台駅まで歩いてきて、ここから武蔵境まで乗って帰ったんだった。

5 白糸台掩体壕

住宅街の真ん中というか、甲州街道の隣というか。意外な場所にそれはあった。

白糸台駅から、甲州街道の方にちょっと戻ると、住宅街の中にポツンと掩体壕があらわれました。

掩体壕の中を覗きます。地層みたいになってるね。

掩体壕の後ろ側に回って見た図。掩体壕のスタンダードとしては反対側は空いてるようですね。

しかし・・・
人を一人運ぶマシンという点では、戦闘機も自転車も一緒だよな〜。

これは府中市の案内図です。何だか、府中市の案内図(地図含む)の方が断然見やすいと思うのは私だけでしょうか?

左手の土手状となってるところは、甲州街道です。
甲州街道を下って来た時に、ちょうど西武多摩川線を乗っ越すあたりで、左下に白糸台の掩体壕がチラリと見えますよ。

6 私有地の掩体壕

4つの現存する掩体壕のうち、これだけは私有地にあり、何かしらの使われ方をしている様子。大分の宇佐の掩体壕を思い出した。

再び、甲州街道の北側にもどります。先ほどは花畑だったけど、こちらは海の中かな?

白糸台掩体壕の看板で調べてこの辺りと彷徨っていたら、掩体壕跡を発見。こちらは私有地にあって、再利用されている模様。

私有地だから勝手に近寄っちゃダメよ。これはギリセーフ(多分)な道から覗かせて頂いております。

何に使われているかは不明です。宇佐では農機具とか保管されてたな〜。

7 東京飛行場入り口名碑

調布飛行場はもともと、陸軍の管轄である飛行場だった。

甲州街道を味スタの前の東京マラソンの折り返し点を見ながら、運動公園をぐるりと回って東京調布飛行場門柱までやって来ました。

当時の門柱が残ってます。

「京」の字がちょっと違って、東東のように見えますね。

終戦後はGHQに取り上げられてしまったのにも関わらず、これが残ってて良かったね。これも遺構ですから大事にしましょう。

8 首都防衛高射砲陣地跡

首都防衛の名の下に、ちょっと小高い大沢のハケの上に高射砲が設置された。

飛行場から野川のレベルまで下りて、そこからハケの部分を一気に上ると、そこには、首都防衛高射砲陣地跡に出ます。
現在、法人が経営する保育園の敷地内にあるようです。

こちらも無難に通りから覗かせてもらいます。「星の館」の入り口前の丸い台座がそれじゃないでしょうか。

こちらは、保育園の裏側の駐車場から見せてもらいました。ブルーシートで覆っている部分がそうじゃないですかね。

ハケの上から飛行場の方を見下ろすの図。確かに空が広いから高射砲を設置するには良い場所だ。よくわからないけど(笑)

こちらの法人のHPに、この高射砲跡のパンフレット(PDF)がありました。興味のある人はご覧ください

この後、ちょっと北側に向かって走り始めたあたりですが、府中市の地図には、「電波標定器」と記載されています。電波標定器ってなんだ?と調べたら、実はレーダーのことでした。高射砲とレーダーが連動していたそうです。それを聞くとちょっと心が踊りますね。

9 帰り道

帰り道は、帰る事が目的になって旅としてはちょっと寂しい。

遺構もあらかた見ちゃったし、仕方ないから帰ろかなと北に進みます。
大沢の隣の野崎に住んでたので、ちょろっと寄って行きましょう。こちらは当時住んでたアパートの近くにあったどんぐり公園と呼ばれる広場です。当時と概ね同じに残っていてちょっと嬉しいです。ちょっと左のベンチの後ろの植え込みがもっとワイルドだったかな。

この辺りはLe gitaneさんのテリトリーですが、彼は巡業中で不在だから勝手に通り抜けちゃいましょう。

多摩湖CRをちょっと走ります。自転車道路なのに、歩行者優先であります。

田無の六角地蔵のあたりで、振り返ったら鎌倉街道の文字が目に入っちゃった。
こんなところに鎌倉街道ってか?

今回のルートはこちら
走行距離 概ね38km

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調布飛行場界隈の遺構巡り” に対して14件のコメントがあります。

  1. oryzasativa より:

    こんにちは

    掩体壕 時々見かけますね。
    やはり、中がどうなってるか
    気になりますね。

    くじら山のあたりで毎年
    変な人が集まって
    「はらっぱまつり」をやってますが
    ジャンベ(タイコ)がやかましい、ってんで
    野宿禁止になってしまいました。
    最近いってませんが。

    1. taboom より:

      oryzasativaさん こんばんは。

      掩体壕は各地にあるようでそれを訪ねる旅もいいかとテーマの一つとしよっかなと思います。
      どうやら千葉にもあるようですね。

      くじら山のあたり、広々として気持ちの良い場所です。久しぶりに行って良かったです。
      あの気持ちの良い場所で、気持ちの悪い人々が集まって祭りをやるとは、それはなんとエキサイティング(笑)
      でも、やかましくてもそうでなくてもこのコロナのヤローのお陰で見送りになってたでしょうね。
      ツマラナイ時代になりましたね。

  2. INTER8 より:

    こんにちは。
    掩体壕というのは初めて聞きました。もしかしたら学校で習っていたかもしれませんが。防空壕なら未だに近所にたくさんあります。
    自転車専用レーンを走るランナーは初めてみました。やっぱり歩道の凸凹は走り難いんでしょうね。ひし形マークが自転車専用レーンにも描かれていますが、これを理解しているオバちゃんっているのでしょうか。免許持っていても「ケッ、そんなの知らないわよ」って逆ギレして弾き飛ばされそうです。

    1. taboom より:

      INTER8さん こんばんは。

      掩体壕というのだそうです。学校では習わないでしょう。私も宇佐に行った時に知った言葉です。私も知らなかったからって何の助けにもならないですけどね(笑)
      防空壕は今でも沢山あると! それもちゃんと見たいですね。そしてそれが今更何に使われているかというのが興味深いです。

      自転車レーンをランナーが走るのはアウトなのかなと思いつつ、早朝だからそんなに通行もないし、気持ち良さそうだから仕方ないかと思いました。でも後ろから抜きざまに、どんな顔して走ってるのか覗き込んだらヤベって顔してました。
      歩道を自転車で走っちゃダメですよとは自転車を売る時に啓蒙してますが、知らない人は多いです。逆に、知らずに走って自警団のような輩に、ここを走っちゃダメだと通せんぼされて怖い思いをしたりしてるようです。

  3. 六浦っ子 より:

    おおー! 都内にはこんなにたくさん掩体壕があるんですかー コレはわくわくモノですね。飛燕の絵の描いたやつカッコイイです。ダホン担いで行ってみようかなぁ 宇佐の物件はちっこい頃に近くを通りかかった際、遠目で見てました。全く興味の無かった少年ぢ代です。戦時中おばあちゃんが、ココの飛行場に働きに行っていた。という話しを聞いた記憶があります。ゼロ戦の模型は知りませんでしたね。

    1. taboom より:

      六浦っ子さん こんばんは。

      そうです。飛燕と掩体壕を見に来ませんか? 今度掩体壕を見て回る散輪ツアーを考えているのでそれの下調べを兼ねて行きました。

      宇佐のはちょっと感動的でした。ここから飛び立つ飛行機があったんだと、畑の真ん中で立ち止まってブルブルしてました。
      またすぐ来ようと竹田津の港を出たフェリーから見た九州でしたが、翌週に熊本の地震があってそれ以来、行くチャンスを逃してしまいましたが。

  4. ♪ のんびり親父 ♪ より:

    こんにちは♪

    結構いろいろなところにあるんですね。
    西東京側は基地が近い関係もあるんでしょうか。
    巡ってみるのは面白そうです。

    それにしても、チェーンリングが大きいです!(^-^ゞ

    1. taboom より:

      ♪ のんびり親父 ♪さん こんばんは。

      68丁の威力は中々ですよ。上りがなければ問題無しです。今んとこ足が付いてかないのでOver40km/hはマークできてませんが、そのうち行けるでしょう(笑)
      あの辺り、飛行場もそうですが、中島飛行機の工場があったというのが大きいんじゃないかと思います。中島の工場の延長で、私んちのあたりは、小学生の頃まで不発弾の掘り起こしが何度もされてました。
      今回巡ったあたりは、そのうち散輪企画を設けますので、ぜひご参加ください。

  5. 発射場行ったこと有りますが民家の敷地内の、所に回転式高射砲基礎コンクリート土台が残って居るだけですがとても雰囲気有ります。近くにブドウ?農家の農園が有ったり野菜の路地売りが有ったりします。ミニベロに久しぶりに乗ってみたら深大寺辺りまでは乗れそうなところまで膝が回復してきましたが左膝はまだまだです。ミニベロのハンドルをアップライト気味のハンドル変えたいのでそろそろいじりたいです。

    1. taboom より:

      パスハンターさん おはようございます。

      膝の状態が回復したとのこと安心しました。
      ウオーキングの方が自転車より負荷がかかりますから、歩くのに力入れてれば自転車も大丈夫でしょう。
      それから、自転車はポジションが楽な方が良いですね。私もアップライトハンドル系が増えてきました。
      路地売りなど、自然と人が住むあたりの際を巡ると人と自然の共生が見えて面白いですね。
      でも、そんな場所はだいたい坂があるからな〜(笑)

  6. あじこぼ より:

    2017年5月 ご案内した野島掩体壕は日本最大級の大きさだからサンダーバード2号の格納庫みたいです爆
    あれを修復保存・公開したらいいのにといつも思っております
    個人的にはかまぼこ型のこのかわいいタイプをたくさん見に行きたいです!

    1. taboom より:

      あじこぼさん こんばんは。

      野島の掩体壕をご案内いただいてから既に3年を経過してるんですね。サンダーバード2号を再び見たいキモチです。
      かまぼこ型の掩体壕を出し惜しみする事はありません。それらを巡るツアーをプランニングしてます。
      お盆過ぎはご都合どうですか?

  7. TAKOぼん より:

    こんにちは
    終戦の日 日本が世界相手に戦争をしていたなんて 若い子達には なんのこっちゃ って感じでしょう。
    我々世代は まだ なんとか 戦争体験者が身近にいたので 話にはことかきませんでしたけれど。
    (うちの親父は 日中戦争と 太平洋戦争 2回徴兵されています 生きていたら100歳か~)
    子供の頃は 酔っぱらうと 戦争の話で嫌でしたが 今頃になって もっとちゃんと話を聞いておけばよかったと・・・

    掩体壕 大阪には 1つしか残っていないそうです。 半分壊れて 農作業具小屋につかわれているようです。
    見たことないので どこか探してみようかと・・・
    飛燕の絵は なかなか 達者な人が描いたようですね。パースもしっかりしています。
    復元 飛燕を見に行きましたが 液冷エンジン機 格好良いです。
    空冷の ゼロ戦もすきですけれど・・・ 
    アメリカ軍 映画用にちょっとは 置いておけばよかったのに 憎しみ余って全部壊したそうです。
    映画用に テキサンT6 がゼロ戦役で飛んでいますが 練習機じゃ 全然迫力ないですね~
     

    1. taboom より:

      TAKOぼんさん こんにちは。

      戦後は遠くになってしまいましたが、いつ何時再来するかはわからない時代になってきました。
      この時期になると戦後まもなくの事をテレビなどでやりますが、この前驚いたのはGHQが廃止されたのは1952年ということ。
      生まれる10年前まではGHQがあったんだという事実! 戦争終わってすぐに生まれた世代だったんですね。

      掩体壕は、残っていれば農機具入れというのが定番のようですね。これから各地の掩体壕を気にして回ろうと思ってます。
      飛燕の絵は専門家から見てもしっかりしてるものなんですね。次行った時は、この絵はパースもしっかりしてると説明できます(笑)
      そもそも飛燕は、貴兄のブログで復元を聞いて興味を持ちました。見てみたいものですね。川崎のエンジニア魂が発揮されたのでしょう。
      今の技術で同じの作っちゃえばいいのにとも思いますが(笑)

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